「こころや意識というものは脳の中にあり、脳がはたらくことによって生み出されている」ということについては、ほとんどの脳科学者は疑っていません。私もそのうちのひとりですから、自分とはこころのことであり、それを生み出しているのは脳である、という仮定を支持しているということになります。
神経科学的にいうと、脳にある多数の神経細胞の集団的活動の一部が、こころとして自分に感じられているものの正体です。
30億個の文字列=ゲノムは、私たちのからだをデザインしている設計図です。先に、「自分とはこころのことであり、それを生み出しているのは脳である」といいました。脳もからだの一部ですから、このからだの設計図であるゲノムには、脳の作り方のすべてが書かれているはずです。
ゲノムに脳の作り方のすべてが書いてあるということは、そこには脳が生み出すこころについての秘密も隠されているはず。こころを生み出す脳、その脳の設計図が30億個の文字列で書かれており、その配列は基本的に一生変わらないのです。つまり、ゲノムこそ、一刻たりとも同じ状態にとどまることなく変化し続ける自分と自分のこころの背景にあって、一生変わることなく、自分を自分たらしめているものの実体なのではないでしょうか。
「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学
by 宮川 剛
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私たちはひとりひとり、自分の設計図であるゲノムを持っており、それが自分を自分たらしめてめているものであるということを述べてきました。では、「こころの性質や行動の特性などの個人間の差は、どこからきているのか?」という疑問についてはどうでしょう?
現在の遺伝学では、個体間の差は、遺伝子のどのような「型」を持っているかに影響されるということになっています。遺伝子には、その塩基配列の一部に個人ごとに違いのある様々なバリエーションがあり、これを「多型 (polymorphisms)」といいます。
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どんな遺伝子のバリエーションを持っているとどんな病気になるリスクが高まるか、その影響を調べる近年の研究にはめざましいものがあり、次々と成果が発表されています。一方、こころの性質と遺伝子の型の対応は、何をもって影響とするのか、それほど単純ではありません。軽々に論じることはできませんが、こころの性質の個体差もこの「型の違い」によって影響されることがあるということを、ひとまずは覚えておいてください
(sk)
だからといって、「こころが、基本的には一生変わらない」だなんていうことは、絶対にありえない。
寺山修司が「時には母のない子のように」のなかに入れた 「だけど心は すぐ変わる」 という言葉のほうが、よっぽど真実に近い気がする。
リリィ の「心が痛い」も、ずっと痛いわけではない。
こころが親から貰ったものだとするならば、私はそんなこころはいらない。